プログラマ的教育論〜教育とは〜
今の日本とか、社会事情などは関係なく「教育」という我々国民の義務を果たすという意味での教育論(自論)です。
教育とは
はっきり定義できるものでは無いと思います。ここで、教育論の議論するのは工事現場でスクワットをしているのに似ていると思います。 じゃ、何が重要なのか? 子供達にプログラミングを教える機会があり、ちょくちょくボランティアしている程度の人間ではありますが、どの業界にいても人である限りは「教育」を行う義務があるのでは無いか?と思うこの頃です。憲法だか、法律だか忘れてしまいましたが我々国民の義務ですので、延いては日本の未来を作る行為に等しいと思います。つまり、大人が全員できる事をやれば良いと思うわけです。
できる事しかできない
当たり前な話ですが、できない事は出来ません。なので、一人で全ては出来ないので分担して仕事や家事など色々な事を行いますが、教育に関しても同様な事が言えると思います。 ただし、テストで点数を取るための勉強に関してははっきり言って興味がありません。目的があり、「東大にどーしても受かりたい!」というのなら話は別ですが、結局は有名人とのコネクションが得やすいだけなのでは?と思ってしまいます。 つまり、テストで点数を取るよりも生きるための勉強を優先してやるべきだと思うわけです。
何を教えるか?
ズバリ、自分の持っている「経験」を語ることではないでしょうか?
その話ありきで、技術的な事や、人生醍醐味とか、くだらな事から、高尚な事まで全部が「教育」なんだろうと思っています。
その最も小さなモデルが「プログラミング」にはあると、経験上からして思うわけです。
プログラミングx人生
プログラムは、ゲームだったり、アプリだったりしますが、仕組み(システム)の構築からして、建築業界の言葉をもらってきています。「デザインパターン」という言葉からして拝借しているものです。 早い話が、ものを作る行為が人生の中で役立つものを教えてくれる「教育」の1番小さなモデルになるという事をお伝えしたかった次第です。
建築とIT
「土台を作り、その上に見栄えの良い、建築物、アプリ、努力の成果を作る。」 この様な言葉は違和感なく聞こえてくると思います。 大半のことに言えることですが、なにかを修得して、何かを成す。それぞれに大きな努力と時間が必要ですがやるべき事の流れは同じです。しかし、建築や音楽など修得に時間が必要な事はサンプル的なものでも作るのに時間がかかりますが、プログラムは違います。パソコン上で動かすだけならすぐに出来ます。 当然、大きなものを作るのは大変ですし学習、経験…色んなものが必要です。
まとめ
学習(努力)、チームワーク、実行、成果物を作る。それぞれの事を最小単位で経験できるのがプログラミングであり、「トライアンドエラー」による技術の研鑽など様々な事が小さなサイクルで経験できるので、教育の材料としてプログラミングが使えますよ⭐️ という事が言いたかった次第です。 そして、子供や会社の後輩などには、言葉で言うよりやってみせるのが一番わかりやすい様です。 分からなかったら一緒に勉強すれば良いし、良い面と悪い面の両方を知らなければ、善悪の区別もつかないだろうと思います。 以上、プログラマ的(自論です)教育論でした。
でわでわ。。。